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5弦ヴァイオリンで艶やかに演奏されたラテン風作品サントルソラ:ヴァイオリン/ヴィオラとピアノのための音楽グラン・デュオ・イタリアーノ、マウロ・トルトレッリ(5弦ヴァイオリン)、アンジェラ・メルーゾ(ピアノ)ウルグアイ人作曲家、ギード・サントルソラ [1904-1994]のメロディアスでラテン風味な作品を5弦ヴァイオリンで艶やかに演奏した注目盤。サントルソラはアヴァンギャルドには否定的で十二音主義も拒否。その作風はルネッサンスやバロックからロマン派までの様式を基本に、ラテン音楽的要素も参照するというもので、ときには東洋の「十二律」まで範囲を広げるなど独特の芸風の持ち主でもあります。今回登場するヴァイオリン/ヴィオラとピアノのための音楽も親しみやすい美しさが印象的な作品が揃っており、ラテン趣味もいたるところに投影されて楽しい聴きものとなっています。▶ Brilliant Classics 検索 作曲家情報【名前】ギード・サントルソラの88年10か月の生涯の拠点国は3つで、それぞれの国で言語が異なるため、本来であれば下記のように表記も違ってきますが、煩雑になるため、ここでは「サントルソラ」で統一します。◆ イタリア(約5年間):グイド・サントールソラ(イタリア語)◆ ブラジル(約21年間):ギード・サントルソーラ(ブラジル・ポルトガル語)◆ ウルグアイ(約63年間):ギード・サントルソラ(スペイン語)【イタリア時代】◆ 1904年11月18日、南イタリアのバーリ近郊、カノーザ・ディ・プーリアに誕生。本名のイタリア語読みは、グイド・アントニオ・スタニスラオ・サントールソラ。◆ 1909年、彫刻家、トランペット奏者、コントラバス奏者の父から音楽教育を受け始めます。【ブラジル時代】◆ 1909年、父エンリーコが仕事のためブラジルのサンパウロに渡航。◆ 1910年10月、母ルチアと共に家族全員が父に合流。◆ ヴァイオリンのレッスンを数年間受けます。◆ ヴァイオリンとピアノのための最初の作品「ブラジル序曲」を作曲。その楽譜を見たサントルソラの家庭教師は、サンパウロ音楽院に入学するよう進言。◆ サンパウロ音楽院に入学し、ミラノの教師アゴスティーノ・カントゥに作曲を師事。◆ サンパウロ音楽院入学の2年後、奨学金を得てナポリに留学。◆ ナポリで名教師ガエタノ・フゼッラにヴァイオリンを師事。◆ ロンドンのトリニティ・カレッジでアルフレッド・ミストフスキーに師事。◆ 1922年、ブラジルに帰還。◆ 1922年、作曲家のマスカーニがサンパウロを訪問し滞在。◆ 1922年10月31日、サントルソラはマスカーニのピアノ伴奏で自作のヴァイオリンとピアノのための音楽を初演。◆ 1924年6月、19歳のサントルソラは、サンパウロの雑誌「アリエル」が主催するピアノ作曲コンクールで、「インプロヴィーゾ・ブルレスコ」という作品で優勝。◆ この時期、サントルソラは、ヴァイオリンとヴィオラと作曲の勉強などを続けながら、演奏家としても活動しパウリスタ四重奏団にも参加して収入を得ていました。◆ 1926年11月20日、エリジア・サハフ・ベントイワと結婚。◆ 1928〜1931年、サンパウロ音楽院で和声、ヴァイオリン、ヴィオラを教えるほか、ブラジル音楽研究所も設立し、ヴィオラとヴィオラ・ダモーレ上級コースの指導も担当。【ウルグアイ時代】◆ 1931年8月14日、設立されたばかりのソドレ交響楽団に外国人を対象としたコンクールで首席ヴィオラ奏者として指名され、モンテビデオに転居。ブラジルの政情不安もあったため滞在は長期化。◆ 1937年、ヴィオラ、ヴィオラ・ダモーレ、合唱、管弦楽のための協奏曲でウルグアイ公教育省賞を受賞。◆ 1941年、セゴビアの娘にピアノを教えていたサラ・ボルディヨンと知り合います。サラを通じセゴビアの知己を得て数年後にはギター音楽も作曲。また、サラはやがてサントルソラの2代目の妻となります。◆ 1942年、サントルソラは、フリッツ・ブッシュ、エーリヒ・クライバー、ランベルト・バルディの勧めで指揮を開始。◆ 国営放送の作曲コンクールで1位を獲得。◆ 1943年9月4日、ギターとオーケストラのための協奏曲を指揮。◆ 1943年、音楽学者フPowered by HMV
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