クリスチャン・フェラス第1集/ヴァイオリン協奏曲集全盛期の貴重なライヴフェラスの弾くヴァイオリン協奏曲集ブラームスのドッペル&ベートーヴェンのトリプル(DHR7716)につづいて、フェラスによる貴重な協奏曲ライヴ集がDOREMIよりリリース。いずれも絶頂期のライヴとなる内容は、メンデルスゾーンとチャイコフスキーという王道のナンバーのほかに、名匠シューリヒトのバックで聴くモーツァルト。さらには名手シェリングのために書かれ初演されたマルティノンの作品を収録。高貴でデリケートなフェラスのヴァイオリンは今もって余人をもって替え難いものがあり、またもやファンにはたまらないアルバムの登場といえるでしょう。(キングインターナショナル)1モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番イ長調K.219『トルコ風』2ジャン・マルティノン:ヴァイオリン協奏曲第2番Op.513メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲ホ短調Op.644チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲ニ長調Op.35 クリスチャン・フェラス(ヴァイオリン) 1カール・シューリヒト(指揮)フランス国立放送管弦楽団 24シャルル・ブリュック(指揮)フランス放送フィルハーモニー管弦楽団 3ヴォルフガング・サヴァリッシュ(指揮)フランス国立放送管弦楽団 録音:11955年2月2日(ライヴ)、21968年12月6日、パリ(ライヴ) 31965年5月25日、パリ(ライヴ)、41968年1月3日、パリ(ライヴ)【クリスチャン・フェラス】フランスの名ヴァイオリニスト、クリスチャン・フェラスが急死してすでに24年。没後20年を迎えた2002年頃からリリースが盛んになってきましたが、今回はなんとバッハの無伴奏の登場です。 1977年12月21日にステレオ・レコーディングされたこの録音は、Sine Qua Non Superbaというマイナー・レーベルから3枚組のLPセットとして発売されますが、当時はフェラスがコンサート活動を休止していたこともあって、あまり出回らなかったようです。それだけに今回のリリースはフェラス・ファンにはまさに大事件といったところで、バッハの大作に当時のフェラスがどんなアプローチを試みたのか、非常に気になるところです。 クリスチャン・フェラスは、1933年6月17日、フランスのル・トゥケに生まれます。幼い頃から父によってヴァイオリンの手ほどきを受け、1941年にニース音楽院に入学、1943年には同地のコンクールで優勝します。翌年、パリ音楽院に入学し、ジョルジュ・エネスコとルネ・ベネデッティにヴァイオリンを、ジョゼフ・カルヴェに室内楽を師事。すぐに頭角をあらわし、室内楽とヴァイオリン演奏で首席となり、13歳で同音楽院を卒業。パリ・デビューののち、各地のコンクールで優秀な成績を収めますが、17歳頃からは実際のコンサートやレコーディングが本格化、ランパルやエネスコと共演した室内楽コンサートのほか、ベームに招かれてコンチェルトを演奏、さらに、シューリヒトとブラームスのヴァイオリン協奏曲をレコーディングし、アメリカでもミュンシュとブラームスを演奏したり、マールボロ音楽祭に出演するなどし、ときには現代作品の初演もおこなったりと、1950年代のフェラスの活躍はたいへんに華麗なものでした。 1960年代に入るとツアーの忙しさは相変わらずながら、EMIへの録音が活発化し、しかも1964年からは、カラヤン&ベルリン・フィルやバルビゼと共演してDGに数多くのレコーディングをおこない、加えてコンサートも熱心におこなうというような多忙な状態が続きます。 そうしたストレス過多な状況がフェラスを追い込んだのか、彼は酒に溺れるようになります。それでもコンサートや録音は続けており、1975年にはその功績によってパリ音楽院から表彰され同音楽院の教授として迎えられることとなるのですが、この頃からフェラスは公開コンサートをおこなわなくなってしまいます。 今回登場するバッハの無伴奏は、この時期に収録されたものなので、演奏家としてさまざまな経験を積んできたフェラスの心情がどのような形で反映されているのか、非常に興味深いところです。 フェラスはその後、1982年3月9日にパリでコンサートを開いてカムバックします。5月6日には同じくパリで盟友バルビゼと共演し大きな成功を収めます。8月25日にはヴィシーでも演奏会をおこなうのですが、それから20日後の9月14日に、49歳のフェラスはなぜか自殺してしまうのです。Powered by HMV