ベルリン国立図書館所蔵の手稿譜も使用した本格発掘録音バッハの弟子たちのオルガン音楽シュナイダー&キルンベルガー オルガン曲ヴァルテル・ガッティ(オルガン)モーツァルトと同じ時代まで活躍していたバッハの2人の弟子、シュナイダー[1702-1788]とキルンベルガー[1721-1783]の作品集。シュナイダーの録音は珍しいので、今回、ベルリン国立図書館所蔵の手稿譜により約30分のまとまった作品が聴けるのは朗報です。キルンベルガーもオルガン曲の録音が少なかったので、「8つのフーガ」と「小コラール前奏曲集」合わせて約37分が収録されたのはオルガン好きにはたまらないところです。 使用楽器はオルガン・フェスティヴァルでも知られる北イタリア、ヴィリアーノ・ビエッレーゼの聖母マリア・アッスンタ教区教会にある2007年製デロルト&ランジーニ・オルガンで、澄んだ良い音がします。▶ Brilliant Classics 検索 作品についてヨハン・シュナイダー1702年にフランクフルト近郊のラウタータールで誕生。故郷でニコラ・ミューラーの弟子となり、1717年から1720年にかけては、ザールフェルトでヨハン・ハルトマン・ラインマンに師事。 1720年頃、シュナイダーはケーテンでバッハのオルガンおよびチェンバロの弟子となり、並行して、メルゼブルクでヨハン・ゴットリーブ・グラウンに、ルドルシュタットでヨハン・グラーフにヴァイオリンを師事。 1721年、ヨハン・シュナイダーは故郷近くのザールフェルトの宮廷で、オルガニスト兼首席宮廷音楽家(コンサートマスター)となります。 1726年、ワイマールの宮廷楽団のヴァイオリン奏者となり、その後、1729年にライプツィヒ最大の教会であるニコライ教会のオルガニストに任命され、37年後の1766年、64歳まで務めあげています。シュナイダーは以後もライプツィヒに留まり、1788年、86歳で同地で亡くなっています。 作品には、バッハの影響のほか、当時流行していたギャラント様式も反映されていると言われています。ヨハン・フィリップ・キルンベルガー1721年、ワイマール近郊のザールフェルトで誕生。クラヴィーアとヴァイオリンを家庭で学び、グレーフェンローダのオルガニスト、ヨハン・ペーター・ケルナーに師事。 キルンベルガーは1741年にライプツィヒに滞在しており、その時にバッハに師事したと言われてきましたが、実際にはまだはっきりしていません。 キルンベルガーは年内にドレスデンを経てポーランドに移り、音楽家として貴族のもとで働いて10年間滞在したのち、1751年にドイツに戻っています。 当時のプロイセンは、文化に無関心で宮廷楽団も廃止(おかげでケーテンに楽団が誕生)していたフリードリヒ・ヴィルヘルム1世[1688-1740]の崩御から10年が経っており、音楽好きの息子であるフリードリヒ大王[1712-1786]が楽団を復活させて音楽生活も充実していたため、キルンベルガーはまずポツダムの宮廷楽団のヴァイオリン奏者となり、さらに1758年からは同地で作曲教師、楽長、フリードリヒ大王の妹アンナ・アマリア王女の音楽顧問として働いています。 キルンベルガーはバッハの作品の多くをコピーし、ブランデンブルク協奏曲の原稿も保管、そして「キルンベルガー・コラール」と呼ばれるいくつかのコラールを集めてまとめてもいました。 演奏者についてヴァルテル・ガッティ(オルガン)1962年、イタリアで誕生。アレッサンドリアのアントニオ・ヴィヴァルディ音楽院とトリノのジュゼッペ・ヴェルディ音楽院で、チェンバロ、オルガン、ピアノ、作曲、合唱を勉強。 第6回トルネオ国際音楽コンクールのオルガン部門で優秀賞、第4回ジャンニ・ガンビ・チェンバロ演奏コンクール(ペーザロ)でパオラ・ベルナルディ特別賞、ロンファット・=ュタルダー・コンクール(スイス・フィンハウト)で第2位。 1988年以降、オーストリア、チェコ、フランス、ドイツ、ポーランド、スペイン、スイス、イタリアで演奏活動を展開。 1988年から2002年までルセルナ・聖ジョヴPowered by HMV